成人の主張(タイトルに深い意味はない)
2010年9月13日 日常なんか思考がループ&ループになるのでそろそろ疲れてきた。
という訳でちょっとまとめてみようと思った。
以下多分なんか鬱々としている気がするぜ、と前もって書いておく。
多分、私の世間一般的に言うマイノリティ要因を持っている人に関する受け入れキャパは半端なく広いのだろうなぁ、と最近思います。
そしてそれは、私自身がマイノリティ要因を持っていることが起因している、と考えています。
(まあ、単に左利きってだけですが。)
なんとなく、差別と区別って言うのは別なんだろうな、と感じます。
私は左利きゆえ、他人(まあ、普通右利き)の人と食事に行く時、その人の右側には座らないようにします。
理由は単純。 右側に座ると(距離にもよるけど)手がぶつかるから。
そしてこれが差別なのかと言われると、区別だと思います。
『人と違うのだから、それに合わせる』というのは多分、区別なのだろうと思います。
『優先席ではお年寄りに席を譲りなさい』と同じ。
差別と捉える人も居るのでしょうが、私の中では区別なのです。
でまぁ、ここまでが壮大な前振りなのですが。
私には昔、足の不自由な知人が居ました。
杖をついている時点で足に何らかの障害を抱えているのが一目瞭然だったのですが、初めは個人的に関わり合いになることは無いと思っていたので、「ああ、そんな人も居るんだなぁ」位にしか思っていませんでした。
ひょんなことからその人と「知人以上友人未満」な関係になった私は、多分その人が抱えている障害を一切気にしませんでした。
どれくらいかというと、「階段で行った方が早くね?」「ごめん、階段使えないww」(※後に知ったことだが、足の上げ下げがかなり不自由だったらしい)という無配慮にも程がある会話をしたくらいw
ある意味逆に失礼ですw
……なんてことをしていたら懐かれました。なんという。
私には昔、酷いアトピーの知人が居ました。
失礼な例え方をすることを承知で言えば、その人は初対面の時「お岩さん」という単語がふっと浮かぶくらい酷い状態でした。
これは直後に母親経由でアトピーだと知りました。
妹が同じ病気を抱えているのもあって、理由を知ってしまえば私に取っては「ふーん」という位の意識でした。
故に他の人と変わらないように扱っていたら、もう既に同じ学校という意外に接点が無くなっていた卒業式にボタンをねだられる程度に懐かれました。
なんという。
さて、ここで話は戻りますが、私は左利きです。
普通の人から見たら異常であるが故に、気付いた人には「え!?左利きなの?」と言う反応が普通です。
中には「左で書けるって信じられない」とか「右で書けるの?」とか言う人も居ます。
でも、正直慣れてます。
前に、とある犬ブログの中でこんな記事がありました。
「僕が散歩していると、『この犬、なんて種類なんですか?』(※特殊なミックスの犬)ってよく聞かれます。
その人に取っては初めての事なのでしょうが、僕は何度となく同じことを聞かれています。」
これはある意味、私が左利きであることと変わりません。
その人に取っては初めてでも、私に取っては何度となく同じことを聞かれています。
むしろ、「私も左利きなんだ」とかいう発言がかなり新鮮です。
「ここ左利きの人ばっかりだから(※3/12(同室内)と言うとんでもない左利き率)助かるわー」と言われたときには、あまりのキャパ超えの発言になんと返したらいいのか迷ったほどです(笑)
正直に申し上げれば、所謂マイノリティ側に所属していているとはいえ、私の持っているものはかなり低いです。
そして、更に言えば、正直初対面では戸惑います。びっくりします。
でもそれは、左利きだろうと双子だろうと変わらないよね、と思うのです。
そして多分、言われる(驚かれる)側も慣れている、と思います。
大切なのは、その後の接し方にあるような気がします。
「必要な区別」はするべきですが、「不必要な気遣い」をする必要は無いと思うのです。
未だ私は出会ったことがありませんが(言われていないだけかもしれないけどw)多分それは同性愛についても同じような気がします。
私は一応、分類上「腐女子」であるということがそのマイノリティに関して若干の敷居の低さはあるとは思うのですが…
(正確に言えば、面白ければOKなので薔薇百合ノーマルドンと来い、な人なだけなのですが)
多分最初はびっくりするだろうけど、多分そのまま受け入れてしまうのだろうなぁ、と思っていたりします。
まあ、そんな感じのだらだらしたことを一度吐き出してみたかったよ、な記事でした。
まとまりもなければオチも無いよ!
という訳でちょっとまとめてみようと思った。
以下多分なんか鬱々としている気がするぜ、と前もって書いておく。
多分、私の世間一般的に言うマイノリティ要因を持っている人に関する受け入れキャパは半端なく広いのだろうなぁ、と最近思います。
そしてそれは、私自身がマイノリティ要因を持っていることが起因している、と考えています。
(まあ、単に左利きってだけですが。)
なんとなく、差別と区別って言うのは別なんだろうな、と感じます。
私は左利きゆえ、他人(まあ、普通右利き)の人と食事に行く時、その人の右側には座らないようにします。
理由は単純。 右側に座ると(距離にもよるけど)手がぶつかるから。
そしてこれが差別なのかと言われると、区別だと思います。
『人と違うのだから、それに合わせる』というのは多分、区別なのだろうと思います。
『優先席ではお年寄りに席を譲りなさい』と同じ。
差別と捉える人も居るのでしょうが、私の中では区別なのです。
でまぁ、ここまでが壮大な前振りなのですが。
私には昔、足の不自由な知人が居ました。
杖をついている時点で足に何らかの障害を抱えているのが一目瞭然だったのですが、初めは個人的に関わり合いになることは無いと思っていたので、「ああ、そんな人も居るんだなぁ」位にしか思っていませんでした。
ひょんなことからその人と「知人以上友人未満」な関係になった私は、多分その人が抱えている障害を一切気にしませんでした。
どれくらいかというと、「階段で行った方が早くね?」「ごめん、階段使えないww」(※後に知ったことだが、足の上げ下げがかなり不自由だったらしい)という無配慮にも程がある会話をしたくらいw
ある意味逆に失礼ですw
……なんてことをしていたら懐かれました。なんという。
私には昔、酷いアトピーの知人が居ました。
失礼な例え方をすることを承知で言えば、その人は初対面の時「お岩さん」という単語がふっと浮かぶくらい酷い状態でした。
これは直後に母親経由でアトピーだと知りました。
妹が同じ病気を抱えているのもあって、理由を知ってしまえば私に取っては「ふーん」という位の意識でした。
故に他の人と変わらないように扱っていたら、もう既に同じ学校という意外に接点が無くなっていた卒業式にボタンをねだられる程度に懐かれました。
なんという。
さて、ここで話は戻りますが、私は左利きです。
普通の人から見たら異常であるが故に、気付いた人には「え!?左利きなの?」と言う反応が普通です。
中には「左で書けるって信じられない」とか「右で書けるの?」とか言う人も居ます。
でも、正直慣れてます。
前に、とある犬ブログの中でこんな記事がありました。
「僕が散歩していると、『この犬、なんて種類なんですか?』(※特殊なミックスの犬)ってよく聞かれます。
その人に取っては初めての事なのでしょうが、僕は何度となく同じことを聞かれています。」
これはある意味、私が左利きであることと変わりません。
その人に取っては初めてでも、私に取っては何度となく同じことを聞かれています。
むしろ、「私も左利きなんだ」とかいう発言がかなり新鮮です。
「ここ左利きの人ばっかりだから(※3/12(同室内)と言うとんでもない左利き率)助かるわー」と言われたときには、あまりのキャパ超えの発言になんと返したらいいのか迷ったほどです(笑)
正直に申し上げれば、所謂マイノリティ側に所属していているとはいえ、私の持っているものはかなり低いです。
そして、更に言えば、正直初対面では戸惑います。びっくりします。
でもそれは、左利きだろうと双子だろうと変わらないよね、と思うのです。
そして多分、言われる(驚かれる)側も慣れている、と思います。
大切なのは、その後の接し方にあるような気がします。
「必要な区別」はするべきですが、「不必要な気遣い」をする必要は無いと思うのです。
未だ私は出会ったことがありませんが(言われていないだけかもしれないけどw)多分それは同性愛についても同じような気がします。
私は一応、分類上「腐女子」であるということがそのマイノリティに関して若干の敷居の低さはあるとは思うのですが…
(正確に言えば、面白ければOKなので薔薇百合ノーマルドンと来い、な人なだけなのですが)
多分最初はびっくりするだろうけど、多分そのまま受け入れてしまうのだろうなぁ、と思っていたりします。
まあ、そんな感じのだらだらしたことを一度吐き出してみたかったよ、な記事でした。
まとまりもなければオチも無いよ!
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